こんばんは!
クリックをありがとうございます。
suki弟です。
中東が自分の中で苦戦している地域ではありますが、イスラームとは切っても切れない場所であるからこそ、歴史の変化が絶えない場所であることに気付き、少しずつ理解できそうであります。
その中の1つで7世紀のイスラーム世界にて、アラブ人国家が現れたウマイヤ朝について纏めてみます。
まず、ウマイヤ朝は正当カリフ時代(ムハンマド死後、信者の選挙によってカリフが選ばれていた時代です)が終焉を迎えた後に生まれた王朝です。
ウマイヤ朝を建国したのはシリアのウマイヤ家(日本でいうウマイヤさんという名字の家計だと思ってOKです)のムアーウィヤという人物です。
彼は、本当のムハンマドの子孫というわけではなく、自称カリフに過ぎませんでした。
ですが、彼の力は強大で、なんと現在のイランからイベリア半島(ポルトガルがあるところ)までをウマイヤ朝の勢力までにしてしまいました。
その後、トゥール・ポワティエ間の戦いで敗北するまではずっと隆盛していました。
ただ、戦いだけで国が衰退したわけではありません。
実は、ウマイヤ朝の内部政策(アラブ人優遇政策)がウマイヤ朝崩壊を招いてしまったのです。
アラブ人には税をかけず、アラブ人では無い征服地にはジスヤとハラージュという2つの税をかけていたのです。
え、何がいけないの? と思うかたもいるもしれませんが、ウマイヤ朝はあくまでもイスラーム国家です。
神の前には皆平等といっているのにも関わらず、アラブ人かどうかで納税の有無を決めてしまっていたことが、まさに不平等ですよね。
こうして、アラブ人ではない者からの反対により、栄華を極めたウマイヤ朝も崩壊してしまったのです。
非常に面白いですね。
日本では宗教観による分裂というのは無いに等しいですが、大陸国ではこのようなこともあるんですよね!
学べば学ぶほど深い…
また自分の中で面白いと思ったことは随時まとめていきます。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございます。
また明日の更新もよろしくお願いします。